今日は、僕の誕生日です。

わーい、わーい!
……っていうキャラじゃないんだけどねえ。
誕生日って、誰かに祝ってもらうものなんだろうけど、正直、あまり得意じゃない。「おめでとう」って言われると、なんて返したらいいか分からないし、そもそも自分の誕生日を人に伝えるのも少し気恥ずかしい。(前まではね)
たぶん、小さい頃にそういう経験がほとんどなかったからだと思う。
誕生日ケーキがあって、プレゼントをもらって、家族に「おめでとう」と祝われる——そんな温かい光景を、どこか遠いもののように感じていた。もちろん、そういう風に祝われることが嬉しいってことは分かる。誰かの誕生日をお祝いしたくなる気持ちも分かる。
でも、いざ自分の番となると、「いや、別に…いいけど?」と、ついそっけなくなってしまう。
お祝いされたら嬉しいはずなのに、心のどこかで慣れていない自分がいる。それに、誕生日って、当然だけど「年齢が一つ増える日」でもある。
僕は昔から、キレイなものや美しいものが好きで、自分自身もそうありたいと思ってた。だから、どこかで「自分がキレイなうちに、身体が動くうちに、コロッと逝けたらいいな」なんて考えてた。何かが衰えていくことを感じるよりも、その前にスッといなくなる方が、自分らしい気がしていたから。
でも、それも今は少し変わってきた。
この人生で「やりたいこと」や「生きる意味」が、見えてきたから。それを見つけた瞬間、初めて「もっと生きてみたい」と思った。
自分のやりたいことをどう表現すればいいのか。どうすれば、より多くの人に伝わるのか。そう考えるようになってから、日々の出来事が今までと違って感じられるようになった。
目の前のことをただ消化するんじゃなくて、自分の中でしっかり「感じる」ようになった。その「感じること」を大事にしていると、自分の考え方や在り方が、少しずつ形になっていった。それってきっと、自分の魅力の一部にもなるんだと思う。
そして気づいた。
「自分の正解」を持っている人ほど、魅力的に見えるということに。
どんな物事でも、正解なんて一つじゃない。自分の中にある正解を伝えて、相手の正解と交換する——そういうやりとりができる人こそ、魅力的に映る。
だから今は、年齢を重ねることに対して、昔ほどネガティブな気持ちはない。年を重ねるのは、何かが減っていくことじゃなく、目には見えない大事なものが増えていくこと。
そう思えるようになったら、年を取るのも悪くないなって思えてきた。
おれ、お誕生日おめでとう。今までよく生きてくれました。
そのおかげで、たくさんの「感覚」に出会えて、たくさんの「自分の正解」に触れることができました。
そして——こんな自分と出会ってくれた皆さま、ありがとうございます。
Natural.i はまだ生まれて2週間くらいですが、ありす共々、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
という事で、お誕生日は自分から伝えていこうと思うので、おめでとうって言ってね!
読んでくれてありがとう。
まーーたね!
ありす