「人は、本性に忠実であるとき、最も誠実である。」
マルキ・ド・サド
(サディズムの語源になった人物とされてる人。)
Sに目覚めたきっかけは、
間違いなくこの女性用風俗という業界に出会ってからである
それまでは至ってノーマルだったと思う
男性としても、良くも悪くも普通だったようにも感じる
最初は数年前に
「ビンタしてくれませんか?」
から始まった。
当時のおれからしてみれば
「女の子にビンタ…」「まじで言ってる?」
ってなった。
まあ、真面目なところは真面目なので
「要望にあるならば」と思い
おそる恐るビンタをする
言うなれば「バシンっ」よりも
「ぺちっ」っというのが実際の所
相手からしてみればおそらく物足りなかっただろう
それでもこっちは精一杯である
でも確かに、
その時の相手の口角がかすかに動いたのを覚えているし
もしかしたら戸惑いながらも
自分も動いていたのかもしれない
そして
物事が起こっていくタイミングとは不思議なもので
その後に
「首絞め」
「腹パン」
「噛みつき」
「スパンキング」
といった要望が他からも自然と増え、
それに順応していくように
こちらが開発されていく感じになった
気づけば、
そういったことに興奮や快楽を覚えるようにもなった
また、それらは性的な興奮もあるが
ある種、ドミサブのような支配的で満たされる感覚もあるし
おれのドSを発揮することで
その人の身体や心をギリギリまで追い込んで
そのさきにある「本音」や「本質」みたいなものを
見たいし、感じたいって時もあるようになった
(もちろん加減はするけど)
「おれにお前の本音や本質を見せろよ」
って感覚になる
他の誰にも見せない、殻を被ったつもりになって
勝手に安全圏に居るつもりになって
世界と距離を取ったつもりになっている
「お前だけの本音を見せろ」ってなる
(お前って言ってごめんね)
これらは別にそういうプレイの時や
性的なものを介さずとも
普段の何気ない会話の中でもそうである
「本音や本質」について喋りたいし
その矛盾についても、へてぺろってしたいのである
そのドSを発揮するのも
対ひとによっても全然変わるし、ちょいSからドドドドSまで
レベルは10段階くらいあるかも
そもそもおれのSをおれ自身が感じないって場合には
発揮されないけど
自分の中のSになってからは、
男性としてもオスとしても変わってきたように思う
おれ自身の性質、本質のを自分で気づくようになってきた
そこに気づくと、
自分として一致感があるから自分で自分に安心するし
落ち着くという感覚になる
まあ、総じて
自分の中の本音や本質を
フィルターを通さずに正しく知るってことは
自分の本性を知るってことで
それは何より「自分自身に対して誠実」で居られるから
最強ってことで、心が安らぐってこと
また次ねー!
ありす