『わがままに愛させて』

「愛とは、わがままを許し合うことだ。」 太宰治


わがままに愛させて

自分の感じたようにやる
動きたいように動く
ただそれだけのことが一番むずかしかった

おれは元々HSP気質であり人の感情や考えることが
なんとなく分かる性質を持っている

その性質は会議とかミィーティング、
話し合いの場でプラスに発揮されることが多かった
ひとつの議案に対して納得している人、納得していない人が分かるから
司会進行を担っていた者としては
「納得してないよね?」「どういう所が?」とそういう意見を拾っていくことが
その時のおれの役割だと思ってた

まあ人間が集まる会議ではそれが発揮されるも
1対1になると
相手のして欲しいこと、言いたいことが
なんとなく入ってくるから、無意識にでもそこに合わせちゃうし
必要以上に汲み取ろうとして結果的に自分を殺してしまう

それに合わせて、自分の中の
「こうあるべき」
「こうするべき」
などのフィルターも入ってくるから
余計に、本来のおれを閉じ込めてしまうことになる

別にそれが苦痛だと思わないし、感じない時もあるけど
段々と自分の感性が薄くなっていくような
そんな感覚になっていくのを感じていた

そうなってくると、
「じゃ、あなたはどうしたいの?」
っていう問いに、すぐに答えられなくなるし
自分の素直さに従えなくなってしまう

まあ端的に言うと、
そういうものを全部脱ぎ捨てて
人と、物事と、この世界との関係性を
おれとして作りたいなと思った

「愛」なんて、抽象的で、綺麗ごとみたいで、
軽々しく言っちゃいけないものなのかもしれない。
でもそんなルール、知るかあああ。

全部ひっくるめて
おれのこの世界を「わがままに愛す」
やりたいようにやるし、言いたいことは言うし
なんだったら
喧嘩もぶつかることも全然するし
あと、全然性格悪くていじわるだし
たまに鬼畜になるけど

そんなおれを許せ。笑

でもそうやって、
おれというものをさらけ出した時に、
出てくる言葉や、本音
ほんのちょっとの優しさがあるのだと思う

そういう魂の奥の奥にある感覚に
おれ自身が触れたいし、
見たいし感じたいし、抱きしめたいから

今日も

「わがままに愛されろ」。

(そう言って時のおれの顔は、
きっと悪そうなドヤ顔してると思う)


次も読めよな

ありがと


まーーたね


ありす


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